コロナ騒動はオミクロン株の出現で世界中が右往左往している最中、冬季オリンピックが開催されてアスリートが躍動している姿には清々しい気持ちにさせられます。女子アイスホッケーには全く縁がないにもかかわらず、格闘技もどきのプレイに、髭(誠に失礼な表現です)が生えていそうなフィジカル満載の欧米勢に伍して、可憐な「大和撫子」どこ吹く風の如く、に魅了されています。今どきの風潮、女子力が肩で風切る活躍の場が女子禁制のハードルを打ち破り大きく広がっています。2011年FIFA女子ワールドカップ優勝には日本中が狂喜乱舞・感動した事は昨日の事の様です。小柄・軽量のハンデをものともせずにアメリカとの決勝戦で前半はドローとし、後半24分モーガンが先制点。後半36分約50mを駆け上がったMF宮間が体でのワントラップを挟み同点ゴール!! そして延長前半戦14分アメリカの大エース・ワンバックが得点。後半12分日本のエース・澤穂希が執念でポロリ感の同点ゴール!! PKはコイントスでアメリカ先攻するも三人続けてGK海堀の美技に阻まれ、日本は宮間・阪口・熊谷が決めて初優勝!! (日本時間2011年7月18日 5時~)・・謎は 澤 選手は何故PKに不参加??終始 佐々木監督の笑顔が印象的でした。
1992年以降は経済的に“失われた30年”と自虐的に表現されていますが果たしてそうでしょうか??確かに所得ベースでみれば平均年収350万円前後で停滞している錯覚に陥っていますが、“日本は豊かな国“を自覚し、自信を持って頂きたい。特に製造業界を見ると、代表的なトヨタの自動車業界は最高益を更新していますし、工作機械業界も景気の変動をもろに受けながらも緩やかながら成長しています。翻って海外の特にアメリカの自動車・工作機械は衰退するばかりで、GAFA・マネーロンダリングや不動産・金融・株取引のファウンダーは大きく勝ち誇っていますが、負の面では失業率は高く富の偏在が極端に偏り政治の不信感から国民そのものが情緒不安定なので日本では理解し難いデモや犯罪が頻発しています。象徴例としては、オランダで建造中の大型クルーザー(570億円)を通過させる為にロッテルダム市が歴史有る象徴的な橋(1878年建設)を解体申請。日本人の感覚では全く理解出来ません。余談ですが19兆円の資産を持ち離婚慰謝料は4兆円。
No.165号社内報でも同類の表現をしていますが、製造業は地道に“成長”し、まだまだ“成熟”には至ってはいない奥深さが有ります。企業は“株主”の物ではなく“エンドユーザー”や“社員”皆さんの物です。だから責任を持ったトップが皆さんの理解を得て、将来に向けた設備投資が出来るのです。『お客様は神様』の表現が日本の物造りを象徴しています。『過剰品質』が生産性の一番のネックではないでしょうか?・・しかしながら日本の消費者はそれを求めていますし、何もかも“合理主義”を良しとしないモノ作りが『信用』と言う秤に掛けられない付加価値を生み出していると思われます。回転寿司のシステムを分析すれば一目瞭然です。寿司職人の握る寿司を凌駕するような進化を遂げているシステムです。シャリのふんわりした風合いをマシンが作り出す、一流の寿司店を100点とすれば80点近くの評価が出来るでしょうしコスパで数値表現すれば、1/5~8の料金で満足感を得られます。・・それも明朗会計で! 開発には苦心惨憺の過程を得ての物造りも、それらのノウハウをいとも簡単にコピーされる時代です。特許法で権利が守られるべきですが、盗人猛々しく商道徳を無視した方(国・企業)が甘い蜜を吸える風潮です。更にお人好しな日本企業は東南アジアを筆頭に海外現地生産を展開していますが、現地雇用の従業員を教育して生産戦力に育て上げても現地外資系企業は臆面もなくそのキャリアを評価して採用していますし、従業員自体が高優遇に釣られてデューダを繰り返します。ここでは敢えて従業員としていますが(従う)指示待ちではなく、日本では皆さんは会社の仲間、社員あるいはエンジニアという表現にこだわります。農産物の世界はそれ以上にドライな世界です。『ルビーロマン』や『能登てまり』は農業試験場や農家が交配を数十年手塩に掛けて開発しても、一個(種)を海外に持ち出すだけで親種として簡単にコピーされます。我が県の『五郎島金時』も薩摩の国から門外不出の種芋を、300年前に髷に隠して持ち出したとの事。
上記の状況下でも日本経済は成長を続け、ここ30年間は“失われた時代”“停滞”と言いながら、まだまだ『成熟』には至っていないと思います。『物造り』に関しては“ベスト”は有り得ず、開発や改善を生み出すのはその過程(順序)を踏まえてこそアイデアが生じ果実を得られるのです。
マネーゲームで得る方法を良しとしても、農業文化をベースにした日本民族にとっては『製造業』には無限の可能性を秘めた業界である、と言う事を若い皆さんに理解して頂きたいものです。
常日頃 私の表現では“偶然”や“必然”と“不条理”などを多用していますが、人生においては「果報は寝て待て」は有り得ず、皆さんには努力の結果からの“必然”が訪れる事を願います。