旧松任市に本社(1,600坪)を構え54年、創業74年目となりました。本年の5月までに倉部工場(18年前に2,000坪、7年後 更にご縁をいただき隣接地の2,000坪を取得)に集約移転して心機一転を図ります。たどれば金沢市長田町に住まいの一角で家内工業として産声を上げ、その10年後には野々市市に移転。1969年現在地に至り、南の方角に活路を見出しています。富士登山に例えれば三合目、通称「馬返し」まで来ているとの認識ですが、会社の立ち位置で私は年齢を考えると3.5合目までをも歩めないでしょう。2019年10月の宣言では2年半後2022年3月には移転完了の計画を発信しましたが、コロナ騒動などで延期を余儀なくされました。2023年の移設には甲殻類が成長の過程で“脱皮”するが如く多大なエネルギーが必要です。廃棄設備やオーバーホール機 & 新設備導入などなど。5~15tの重量機械10数台の移設は機械特性や工場レイアウトを全般的に把握している本田常務が価格・納期交渉を緻密・果敢に計画・実施しています。又ある部署においては移転に伴う銀行や地元生産組合との折衝を、そして最も重要な生産を滞りなく継続させる優秀な社員の方々が特性を発揮されている存在感に改めて感謝しております。万全の体制(優秀なスタッフ&箱物&設備)は備えた積りです。願わくば、その後一年半以内に五階建て管理棟の竣工を・・・目的地はまだまだ遥か彼方ではありますが必ずや到達し次なる山を目指したく、節目の年を迎え気持ちを新たにしております。
 30年余りトップとして采配を振るいましたが見込み違いなど失敗も多く有り、目的地に対し「亀の歩み」の如くでした。しかし遠回りは決して無駄な事だとは思っていません。只自己採点(評価)は30点だと自覚しております。及第点(60点)には及びませんが仕事に対し真摯に取り組んだ姿勢は誇っており、不思議と打ちひしがれた気持ちにはなりませんでした。これは人と比較せず、成功される方々には尊敬の眼差しを持って素直に受け入れ、我が身の意欲向上と努力を継続させるエネルギーに転嫁できたからです。同業者を50年前と現在を比較値で表現すれば10~50倍と成っています。更に特筆すべきは、後継者が居ない為の廃業(或いは企業譲渡)は有り得ても、「倒産」 と言う結果を招く企業は殆ど無く素晴らしい業界の末席に存在させて頂いた事に感謝しております。我が社の成長は2~3倍程度ですが、開き直って考えればまだまだ伸び代が有るとプラス思考で考えています。
 
 種をまいて、ようやく花咲きそうです・・・しかしながら私が収穫出来なくても必ず皆さんが摘み取ってくれるでしょう!
 そして又 種を植えて100年、200年。 ”継続は力なり”

 『平々凡々』 人生において如何に重要な事かを痛感しております。先ずは健康第一で家族・友人の皆さんと平穏無事に
 過ごせるか・・・・。日本国民は一番穏やかな民族だと思っています。
 安全・清潔で美しい自然と、豊かな食生活・木や紙で作った建物の風情は世界中の衆望の的です。