『高齢化』 と言う表現は極力避けたいのですが、認めざるを得ない現実の日々を過ごしています。但し負け惜しみですがこの稿ではプラス面を強調させて頂きます。先ずは10代や20代との大きな違いは、一週間がアッという間に過ぎる事です。仕事や社会的な雑務での多忙感が無いにも関わらず不思議です。この面でのメリットは、株運用時に我慢強くなっている事です。私の運用方法(ネットを利用)の基本は売買は一ヵ月に二回以内を戒め、株式市場のネット上確認は日々30分程度。二週間の経過間隔は50年前の3日分に短縮されています。年寄りは短気になる、事に関しては事実ですが、それ以上の長所は感謝・感激の感情はより豊かになっています。数値表現すると私の場合は50年前より喜びの感情は10倍ほどになり、悲しみや怒りの感情は3倍ではないかと感じています。・・かと言って躁うつ病の様な起伏は激しくはなく、穏やかな気持ちを維持しようと努力はしています。先ずはファミリーや廻りの皆さんが心身ともに『健康』である事に感謝。私自身は先輩諸氏や友人に恵まれた事。悲しく心を傷めるのはウクライナ紛争や大きな天災。怒ることはほのぼのとしたお笑い系が少なく、低俗な報道やフェイクがまかり通るSNSなどなど。

以下 PHP三月号より抜粋
 愛知県 T・U氏 会社経営者 77才 
   “ 十二月二十五日、粉雪の夜 ”
 小学六年生の冬、二学期の修行式も近い日だった。放課後に、担任の女性の先生に「職員室に来るように」と小声で言われた。いつかは必ず呼び出しが有ると覚悟していた。体が小刻みに震えて止まらなかった。気になるのは友人の目だが、誰にも見つからずに職員室のドアを開けることが出来た。職員室は独特な雰囲気で異様な圧が有り、それだけで怖気づいた。先生は軽く手を挙げて私を招いた。私は先生の顔色をうかがった。先生の机の上には、私の「給食費・学級費」の新しい集金袋が置いてある。滞納の件だ。私の心配は的中した。父の仕事と家の事情をいろいろと聞かれた。何も答えたくない。我が家には貧乏神様が長期滞在しあらゆる実権を握っていた。とにかく黙っていた。長い時間に感じられた。まるで音のない世界にいるように、私の耳は自然とふさがれていた。いつの間にか、目が潤んでいた。先生は私の肩に手を置いて「お母さんに言って、集金袋にお金を入れてもらいなさい」と、周囲の同僚に気遣いながらおっしゃった。できない返事だ。この学校に転校して十カ月、「滞納」は四度目。母に滞納の集金袋を差し出す勇気はいつもなかった。一番つらいのは、お金の話で母の優しい顔が陰ることだった。学校が苦痛だった。先生からいつ「滞納」の催促を受けるか、毎日その不安ばかりで登校した。集金袋は学校と家とを何度も往復した。公園で、ずっと思い悩んだ。
「 これ、ください! 」一二月二十五日。決して記憶から消えない日。職員室で集金袋を先生から手渡されて、三~四日経過していた。それは、フイルムに焼きついたように鮮明な映像で残っている。狸小路商店街は、札幌で有名な繁華街だ。この街で夜、父の仕事を手伝っていた。その六丁目角が、わが「店」だ。リヤカーの上にベニヤ板を拡げ、古本を山のように並べただけの貧相な露天商。通行人は店に目もくれない。年の瀬に、古本を手にする人はまれだ。粉雪がネオンにきらめき、間断なく降り続いては本の上に飛散する。ほうきで掃除をしていたとき、ふと肩口から声がした。雪の夜にはめずらしい客の声だ。「これ、ください!」振り向けばマフラーで顔を覆った女の人がいて、古本二冊の価格を無視し、過分すぎるお金を目配せして、私の手にしっかりと握らせた。その瞬間、声の主は担任の先生であると知った。 驚愕して言葉が出なかった。知られたくない仕事を見られた。逃げ出したい。しかし体は縛られたように動かない・・・・。「がんばるのよ、あきらめてはダメ、絶対に!」と先生は耳元で囁き、雑踏の中に姿を消した。後ろ姿を呆然と見送った。先生はどこで私のことを知ったのだろう。夢を見ていたのだろうか・・・。我に返ると「自分を見てくれている人がここにいる!」という歓喜に満ち溢れた。熱い血が全身に走り、えもいわれぬ温かさを覚えた。熱意ある先生の言葉に、心が揺らいだ。純白の粉雪の夜は、天使からの贈り物だった。
受けた恩の深さと後悔 父は道内の炭鉱で六年で三度もの倒産に遭い、一家で札幌に出てきた。それからの仕事の多くは、貧乏神様のせいで失敗した。家族六人の生活を支えるため、長男の私は仕事の手伝いを始めた。最後の賭けが古本屋だった。先生から渡されたお金は三千円。給食費、学級費の半年分にも相当する大変な額だ。その夜、先生に長い御礼の手紙をつづった。厚意を甘んじて受け入れるしか方法はない。「必ずお返しします。それまではお貸しください」と一心で書き記した。感謝しかなかった。その後、横浜に移住した。中学三年生の終わりになって、先生に御礼の手紙とともに大金を郵送した。お金は新聞配達で稼いだ。三年もかかった。だが、約束を守れたことに大きな安堵を覚え、再会の日を楽しみにした。その一週間後、郵便物は返却された。予想もしなかった。男文字の手紙で、先生は昨年、悪性の癌で亡くなったことが知らされた。ご主人からだった。最後に「妻の意志として、お金はご返却します」とあった。受けた恩の深さと、間に合わなかった時間の重さに呆然とした。北国の空に向かい、ひたすら掌を合わせてお詫びした。今も残る大きな後悔・・・。サッポロは四十年ぶりだった。狸小路商店街に足は向かった。やっと往時の「店」の面影を探し出した。あの日の思い出に浸っていると、突然「がんばっている?」と後方から懐かしい声が聞こえた。思わず振り向くと、恩師の笑顔が、雑踏の中にくっきりと浮かんでいる。気づけば、その人波を懸命に追いかけていた。「先生!」と何度も叫びながら。 ・・・抜粋終了

講読後に落涙し、また拙文を作成しながらも染み入っています。貧しい環境の中でも心が荒ぶる事無く、「感謝!」 すなわち「幸せホルモン」 挫けず心豊かだからこその結果を得たのだと思います。『忘却の彼方』 苦しい事や悲しい事&嫌な事&失敗・・・多くの事を経験しましたが、タラ・ネバ(後悔)の感覚だけは「彼方」。
・・・これこそ「老人力」なのだと思います。誰しもが苦境に立つことが有りますが、その立ち位置に留まるか或いは退くか、前に進むのかは非常に微妙な判断を必要とされます。前に進もうとして大きな傷を負う場合もあります。野球で例えれば、大きな外野フライを追ってファインプレイの結果を得るか、フェンスに激突して骨折(挑戦して挫折)してしまうか・・・最初から諦めてしまうのか。 非常に難しい岐路に立たされるのですが私の結果論では、骨折の痛みを乗り越えれば間違いなく骨(心は逞しく)は太くなって治癒します。 人生は非常(=非情)に微妙です。
人生勝ち組・負け組と言うような白・黒で判断するものではないでしょう。一番の勝ち組、と言えるのは心身ともに 『健康!!』だと断言出来ます。